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【日本の闇】〜真太郎〜続-4
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【日本心のスレ】 バカ父親!おパンツ!ドモリ!毎日毎日、機械に張り付いてシツコイわ!キモ声で寒気がする。【生ゴミ出し有料地域.輪西ルンペン.白老ルンペン.おパンツ.ドモリ、バカ父親、バカ母親.檻付き精神異常者(苦笑)】柔軟剤キモデブ一家→核のゴミ置かれても理解出来ないんじゃないのかな?町の人達が亡くなってても自分主義過ぎて理解出来ない精神異常一家。
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子ども1人を発見、安否は不明 知床観光船事故 発見者は計11人に
北海道の知床半島沖で観光船「KAZUI(カズワン)」が行方不明になった事故で、第1管区海上保安本部は24日午後11時10分、子ども1人を発見した。性別や安否などの詳細は不明。事故後に見つかったのは計11人となり、子どもは初めて。
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【戦時中のアメリカ軍の焼夷弾の不発弾処理終わる 名古屋駅近く】
名古屋駅近くで3月見つかった、不発弾の処理作業が24日に行われ無事終了しました。
【写真を見る】戦時中のアメリカ軍の焼夷弾の不発弾処理終わる 名古屋駅近く
不発弾は3月17日、中村区名駅南にあるマンションの工事現場で見つかり、24日午前10時から陸上自衛隊が処理作業を行いました。
半径およそ200メートル以内に住む、778世帯、951人が最寄りの中学校などに避難。近くの幹線道路が一部通行止めになり、名古屋高速で一部車線規制が行われました。
不発弾は直径およそ36センチ、長さおよそ123センチのアメリカ製の焼夷弾で、およそ1時間半かけて信管が取り除かれ、その後安全が確認されて規制が解除されました。
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このニュースも意味があります。
天皇家と天皇家に近い存在の人達は戦争モノがある場所を既に知っていますし、所持もしています。
このタイミングでワザワザ出してニュースにしている。
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福知山線の事故
天皇家側のニュース
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【両脚切断の男性、経験を糧に「前向きな人生」 福知山線脱線事故17年】
事故で負傷した林浩輝さん。「スーツを着て働けるのは幸せ」と話す=大阪市西淀川区(永田直也撮影)
乗客106人が死亡した平成17年のJR福知山線脱線事故で両脚を切断し、車いす生活となった林浩輝さん(36)は現在、大手保険会社の関連会社で管理職として仕事に追われる日々を送っている。事故直後の絶望から立ち直り、昨年は東京五輪の聖火ランナーも務めた。事故から25日で17年。「つらいことを乗り越えたからこそ、今の前向きな人生がある」と思えるようになった。
「17年たって感じるのは、この体になっても、スーツを着て四苦八苦しながら働けるのは幸せだということ」
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大阪市西淀川区にある日本生命の特例子会社「ニッセイ・ニュークリエーション」。生命保険の事務手続きなどを担う同社に勤め10年近くになる林さんは、当たり前の日々を送ることができる喜びをかみしめている。
事故当時は同志社大の2年生。事故車両の運転席の真後ろに乗っていたが、突然、車体が浮き上がるような感覚に襲われた。「洗濯機の中で揺られているような感覚」のあと、気が付くと辺りは暗く、下半身の感覚はなかった。わずかな光の中で理解できたのは、上半身が運転席と客席を隔てるガラスを突き破ったことと、運転士が頭から血を流して亡くなっていることだった。
約22時間後、最後の乗客として助け出された直後はクラッシュ症候群で意識を失い、目覚めたのは約2週間後だった。起き上がろうとしても起き上がれず、医師から両脚を切断したことを伝えられた。
「両脚を失ったことに対する悲しみや絶望、憤り」が増す中で、募ったのは学生生活への思いだった。「同級生たちと一緒に卒業したい。そこを一つの目標として前を向けるようになった」と話す。
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信頼厚く、仕事に邁進
卒業後は企業戦士になりたいと大手広告代理店に入社したが、待っていたのは深夜まで及ぶプレゼン準備や飲み会。帰宅が未明になることも当たり前だった。過酷な業務に「俺、車いすやけどな」と弱音をはきそうになることもあれば「でも、自分で選んだ道や」と考え直す。苦悩と葛藤の末、3年後に現在の会社に転職した。
それでも、広告代理店での経験は大きな財産となった。「自分が思っていたほど周りは自分のことを障害者だとみていない。一人の社会人としての仕事ぶりを見られていることに気づいた」
今は30人ほどの部下を持つ。「自身はストイックだが、部下に対しては丁寧な指導をしていて頼りにしている社員も多い」と同僚からの信頼も厚い。今月からは、同社で、障害者がスムーズに働けるよう支援するジョブコーチとしての役割が加わった。
「脚があればもっと人生が楽だったかなと思うこともある」と林さん。ただ、「大変な17年だったけど、事故があって今の自分がいる。その自分のアイデンティティーは仕事。願わくば死ぬ直前まで働いていたい」と仕事に邁進(まいしん)していくつもりだ。
(木津【悠】介)
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焼き肉が食べたかった
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一般のニュース
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福知山線の事故
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【JR福知山線脱線事故から17年「追悼のあかり」】
関西テレビ
兵庫県尼崎市で起きたJR福知山線脱線事故から25日で17年です。
事故の現場では遺族たちが追悼の祈りを捧げました。
脱線事故の慰霊施設「祈りの杜」では、
およそ600本のろうそくが「わすれない」
の文字の形に並んで灯されています。
2005年4月25日、JR福知山線の列車が脱線し、107人が死亡、562人がけがをしました。
事故で義理の弟を亡くした上田誠さんは、毎年ろうそくに明かりを灯し、祈りを捧げています。
【義弟を亡くした上田誠さん】
「この事故を風化させない、こんな事故があったことを伝えていくのは残されたものの使命なんですよね」
新型コロナの影響で中止が続いていた追悼慰霊式は、25日3年ぶりに行われます。
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