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当時の北九州市には、「ヤミの北九州方式」と呼ばれる独特の生活保護制度の運用システムがあったと指摘されています。この記事では、かつて北九州市で相次いで起きた3つの痛ましい事件を振り返りながら、「ヤミの北九州方式」の実態と、そこから私たちが得るべき「教訓」について考えます。(行政書士・三木ひとみ)
門司餓死事件:「入口」を閉ざす「水際作戦」の悲劇
(略)
※全文はソースで。
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門司餓死事件について。
2006年5月23日、北九州市門司区の市営団地で、56歳の男性マモルさん(仮名)がミイラ化して死亡しているのが発見されました。検視の結果、死因は「うっ血性心不全」とされましたが、極度の栄養失調による「実質的な餓死」でもありました。
マモルさんは右ひざに小児マヒがあり、身体障害者手帳4級を所持していました。タクシー運転手などで生計を立てていましたが、体調が悪化し、2005年8月頃には失業し、無収入に。同年9月には電気・ガス・水道がすべて停止するほどの困窮状態に陥っていました。
マモルさんはこの窮状から抜け出すため、門司福祉事務所へ生活保護の相談に赴きました。2005年9月30日、門司福祉事務所のケースワーカーと保健師がマモルさん宅を訪問しました。
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保健師はマモルさんの栄養状態が悪く、病院での診察が必要だと助言しています。そして、マモルさん自身もケースワーカーAに対して、「生活保護を受給したい」旨をはっきりと訴えました。しかし、ケースワーカーAはマモルさんの衰弱状態やライフラインの停止を確認しながらも、所持金の確認など必要な調査を行わず、福祉事務所への来所指導を行うのみでした。
同日夕方、マモルさんは次男に連れられて門司福祉事務所を訪れ、面接主査Bと面談します。マモルさんはここでも再び、明確に「生活保護を申請したい」と訴えました(門司福祉事務所が作成した面接記録票より)。ところが、面接主査Bは「親族でよく話し合いなさい」と、次男による扶養強化を求め、申請書を渡さなかったのです。
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保健師はマモルさんの栄養状態が悪く、病院での診察が必要だと助言しています。そして、マモルさん自身もケースワーカーAに対して、「生活保護を受給したい」旨をはっきりと訴えました。しかし、ケースワーカーAはマモルさんの衰弱状態やライフラインの停止を確認しながらも、所持金の確認など必要な調査を行わず、福祉事務所への来所指導を行うのみでした。
同日夕方、マモルさんは次男に連れられて門司福祉事務所を訪れ、面接主査Bと面談します。マモルさんはここでも再び、明確に「生活保護を申請したい」と訴えました(門司福祉事務所が作成した面接記録票より)。ところが、面接主査Bは「親族でよく話し合いなさい」と、次男による扶養強化を求め、申請書を渡さなかったのです。
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その後、マモルさんはお金がないために食料も買えず、病院にも行けず、ライフラインは停止したままで、困窮状態は日を追うごとに悪化していきました。同年12月6日には、次男に連れられて再び門司福祉事務所を訪れ、「手持ち金なく、体も弱っているので保護お願いしたい」と訴え、生活保護を申請。(門司福祉事務所が作成した面接記録票より)。次男からの援助も年末で途切れるという切実な状況でした。
面接主査Bは、マモルさんが痩せて目がくぼんでいるなど、次男の支えがないと厳しい状況にある(北九州市が厚生労働省に提出した調査概要より)ことを認識しながらも、手持ち現金などの調査は行わず、「次男がだめなら長男に援助してもらったらどうか」と、あくまでも親族扶養を申請書交付の要件として求め、結局申請書を交付しませんでした。
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付き添っていた次男も、収入は限られており、かつ父であるマモルさん以外に扶養者がいたため、マモルさんへの経済的援助は不可能という状況でした。
冬の12月には電気・ガス・水道全てのライフラインが停止。そして生活保護の申請ができなかったこの時点で、なすすべがなくなりました。
翌2006年5月、マモルさんは死後かなり時間が経ちミイラ化した状態で、住んでいた地域の町内会長によって発見されました。
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生活保護を申請させないようにする、一般的に「水際作戦」と呼ばれる対応です。北九州市当局は「法に基づく適切な処置だった」と主張し、当時の市長も「地域住民の支えあいが足りなかった」ことに原因がある旨の答弁を行いました。しかし、これらの言い分は、法的な原則からかけ離れたものでした。
すなわち、生活保護法は、国民が法の定める要件を満たす限り、無差別平等に保護を受けることができるとする「無差別平等原則」(生活保護法2条)、および、「保護は…申請に基づいて開始する」とする「申請保護の原則」(同7条)を定めています。
さらに、行政手続法上、申請がなされた場合には、実施機関は審査を行い、その結果を回答する義務があります(行政手続法7条参照)。
以上を前提とすれば、市民が生活保護を申請する意思を表明すれば、行政庁は速やかに申請を受け付けなければなりません。門司福祉事務所の面接記録票からも、マモルさんが2度、明確に申請意思を示していたことが確認できます。
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にもかかわらず、申請書すら渡さず、申請自体させなかった門司福祉事務所の対応は、明らかに生活保護法2条および7条、行政手続法7条に違反しています。
小倉北餓死事件:「辞退届の強要」の疑い
次に、小倉北餓死事件です。
2007年7月10日、小倉北区で52歳の男性ヨシヒロさん(仮名)が餓死しているのが発見されました。ヨシヒロさんは病気(糖尿病等)のためにタクシー運転手の仕事を辞め、収入がなくなり困窮し、2006年12月に小倉北福祉事務所に生活保護を申請し、受理されていました。
しかし、保護開始からわずか1か月後の2007年1月、ケースワーカーCによる「ケースワーク」が開始されます。このケースワークのほとんどは、市立病院等での「普通就労可」という診断を根拠とした厳しい「就労指導」で占められていました。
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2月23日の家庭訪問時には、ケースワーカーCはヨシヒロさんに対し、「熱心な求職活動を行わなければ文書指示を行い、保護の停廃止もありえる」旨を説明しています。これは保護廃止の一歩手前の「最終警告」ともいえるもので、ヨシヒロさんはケースワーカーの強い威圧を感じていたことがうかがえます。
そして、2007年4月2日、ヨシヒロさんは小倉北福祉事務所に「自立しますので平成19年4月10日をもって生活保護を辞退します」との「辞退届」を提出し、保護が廃止となりました。しかし、その廃止から約2か月後にヨシヒロさんは餓死してしまいます。
生活保護が廃止された翌月の5月、痩せ細った体で近所の人に体がつらいと訴えた記録があります。またこの時期は自宅周辺に生えている野草を食べていたそうです。
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同年7月10日、異変に気づいた周辺住民からの通報により、ミイラ化したヨシヒロさんの遺体が発見されました。
一緒に発見された日記には、6月5日の日付で「ハラ減った。オニギリ食いたーい。25日米食ってない」と記述されており、この部分が大きく報道されました。
さらに、ヨシヒロさんの残した日記には5月25日の日付とともに「書かされ、印まで押させ、自立指どうしたんか」(原文ママ。自立指導、と書きたかったものと推測されます)という記述があります。このことから、ケースワーカーCから辞退届を無理やり書かされた疑いがあります。
辞退届の提出日が保護費支給日であったことから、保護費と引き換えに辞退届の提出を強要された疑いも残っています。
生活保護受給者に対し、厳しい就労指導などにより辞退届を書かせて保護を廃止させる手法は、「辞退届の強要」と呼ばれ問題となっています。
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